2014年10月5日日曜日

今回発表した論文です。

前のページの続きです。
http://chii-ten.blogspot.jp/2014/10/blog-post_5.html
私が発表した論文です。
長いですが、読んでいただけたらうれしいです。

東日本大震災で犠牲になった動物たち~ 
                
     「震災で消えた小さな命展」代表 うさ

          ~はじめに~
2011311日午後246分、日本観測史上最大の地震、「東日本
震災」が起きました。この地震により大規模な津波が発生し、
くの人の命が犠牲になりました。そして同時に、多くの動物たち
命も犠牲になりました。

実際に犠牲となった動物の数は、環境省が出した「東日本大震災に
おける被災動物対応記録集」によると、犠牲になった犬の数は一部
の自治体からの報告を受けているだけで約3133頭、報告のなかった
地域は不明とされています。この数字は犠牲となった犬たちのごく
一部に過ぎません。猫の犠牲については、日本では犬のような狂犬
病予防法に基づく登録制度がないため、すべての自治体で不明です。
その他、うさぎ、ハムスター、鳥などの犬や猫以外の犠牲になった
動物たちの数も不明です。また、震災後、福島原子力発電所の事故
により、警戒区域内に取り残された家畜動物は、多くが餓死または
殺処分されました。その数は約45万頭以上といわれています。

想像を絶する数の動物たちの命が犠牲になりました。
しかし、犠牲になった命の中には、彼らがもしも人間だったら確実
に助かることができた命がたくさんあったことを私は知りました。

私は「震災で消えた小さな命展」というものを企画し主催していま
す。「震災で消えた小さな命展」とは、震災で犠牲になった動物の
飼い主さんから依頼を受けて、主旨に賛同した日本や海外の絵本作
家・イラストレーター・画家たち約100名が、犠牲になった動物た
ちを描きました。描いた絵は、国内外で展覧会を開催し、展覧会終
了後、飼い主さんにプレゼントしています。今日までに、46会場で
展覧会を開催し、150枚の絵を飼い主さんに差し上げてきました。

「震災で消えた小さな命展」を始めることになったきっかけ、開催
る目的、そして、東日本大震災から学んだ大切なことをこれから
お話したいと思います。

 
1)「震災で消えた小さな命展」を始めたきっかけと理由

 東日本大震災が起き、私にも何か出来ることはないか考えていまし
た。それを知るには、自分の目で見て感じることが一番だと思い、
201110月、私は初めて東北の被災地を訪れました。その時、私の目
飛び込んできたものは、何もかもなくなってしまった街の景色でし
た。津波により、人間だけはなく、動物も昆虫も植物も・・すべての
命が一瞬にして消えてしまったことがわかりました。
私はそこで、多くの被災者の方と出会いました。
その中に、動物の家族を失い、辛い気持ちを抱えている方々とお会い
ました。私はその方々からお話を伺いました。

「避難所に動物を連れて行くことは禁止されていたため、家の中で一
安全な場所に犬を残してきた。その後、津波で家ごとすべて流され
てしまった。避難所には人間の家族を失った人が多いので、犬を失っ
た辛さや悲しみを、言葉にすることができなかった」という方がたく
さんいらっしゃいました。中には、「うちは人間の家族を失ってしま
った。あなたは失ったのが動物でよかったじゃないか」と言われてひ
どく心が傷ついた方もいらっしゃいました。動物が行方不明になった
場合、行政に頼ることが出来ないので、飼い主さんが自力で探すしか
ありませんでした。泥水の中から家族だった動物たちを見つけて、
その変わり果てた姿に深く傷つき、元気だったころのその子の姿を思
い出せなくなってしまった…という方もいらっしゃいました。

家族同様の動物を亡くされた飼い主さんたちは、自分だけが助かって
しまった、この子を守ってあげられなかった、と自分を責めていらっ
しゃいました。

私にも大切な動物の家族がいます。そのような話をきいて、心が引き
裂かれそうになりました。その時、亡くなった動物たちの元気な姿を
描いて差し上げたらどうだろうかと思いました。亡くなった動物たち
の想いと残された飼い主さんたちの想いを、私たちが描く絵によって
繋ぐことができたら、と思ったのです。それが「震災で消えた小さな
命展」開催の一つの理由です。

「震災で消えた小さな命展」には、もう一つ大切な理由があります。

「震災で消えた小さな命展」で絵になった動物たちの約半数は、
彼らがもしも人間だったら助かっていた命でした。この事実を、
多くの人に知ってもらい、二度とそのような出来事をなくしたいと思
いました。その為には、『動物も人間と同じ大切な命、大切な家族で
ある』ということを、伝えなければならないと思いました。
日本では、災害などで避難しなければならなくなった時のために、
様々な施設が避難所として指定されています。しかし、避難所の多く
は人間のことだけで、動物のことまで考えられていません。例えば、
人間は安全な高所へ避難していいけれど、動物は危険な低地でつない
でおく…などといったおかしな規則が当たり前に通っているのです。
その為、東日本大震災では、避難できるのに避難せず、家族である
動物と共に亡くなった方もたくさんいました。

 姿かたちが違ってもその命を思う人にとっては、人間と同じ大切
な家族です。動物の命を救うことは、人間の命を救うことにもつな
がるのです。避難時に一緒に連れて逃げてくるものは、その人に
とっては大切な存在であり、共に助かりたいから連れてくるのです。
初めから救う命、救えない命と、命の線引きから決めるのではなく、
命は全て救うもの、そこから、考えるべきだと私は思います。

2)事例
ここでは、亡くなった動物の絵を添えて、5つの事例を
挙げたいと思います。

①宮城県石巻市「コロスケ(犬)」の場合。
 
 
 絵:ふくだ いわお
※絵の中に書いてある言葉「ぼくは幸せでした」

コロスケの飼い主さんは石巻市湊で商店を経営し、震災時もお二人
で商売をしていました。揺れがおさまると愛犬のコロスケを連れて、
避難所である小学校へ向かいました。小学校へたどり着いたコロス
ケの飼い主さんは、学校の前で誘導している先生に、「
犬をどうしたらいいでしょうか?」と聞きました。
先生は、「小さい犬は校舎の中に入れてもいいけれど、大きい犬は
入れられません」と言われました。体の大きかったコロスケは
校舎内に入れることが出来ず、体育館横の鉄柱につなぎ、飼い主さん
だけ校舎へ入りました。そこにはコロスケの他に5匹の犬もつながれ
ていました。その時、津波が校庭を襲い始めました。コロスケを
思った飼い主さんが階段を駆け下りようとしました。
しかし、津波から逃げるために多くの人が階段を上ろうと殺到して
いたため、下りていくことが出来ませんでした。波は学校の1
天井部分まで到達し、その後コロスケは遺体で見つかったそうです。

「どうしてあの時、無理にでも校内へ連れて行かなかったのか…。」

「どうして先生に聞いてしまったのか…。」

どうして、どうして…という思いを、お二人は抱えながら、今も考え
続けています…。
 
~「コロスケ」の事から思うこと~
私はコロスケの話を知り、とても悔しい気持ちでいっぱいになり
ました。校舎内に避難した人や動物はすべて助かることができま
した。コロスケを含む6頭の犬がもしも人間だったら、確実に
助かることができた命だったのです。避難所の小学校には、
たくさんの教室がありました。
その教室を人や動物を分けて避難させることができていたのなら、
全ての命が救えたのです。

避難所によって、判断する人間によって、目の前にいる動物た
ちの運命が決められてしまいます。ひとりひとりの心次第で、
救える命はたくさんあるのだということを、私は強く訴えて
いきたいと思います。

②宮城県東松島市「ユー太(犬)」の場合。

絵:たかぎ なまこ

ユー太は、20歳越えたマルチーズです。
飼い主さんとユー太は、片時も離れたことはなかったそうです。
震災の時、飼い主さんはユー太を抱いて避難所の小学校に避難しま
した。しかし同じ部屋に動物が嫌いな人がいた為、飼い主さんはそ
場に居られなくなり、ユー太を連れて避難所を出ました。そして
壊れた自宅に戻り過ごされました。
しばらくして、ユー太は鳴かなくなり、声が出なくなりました。
耳の毛も抜けてしまいました。かかりつけの病院も被災し、
2、3ヶ月後にやっと診てもらえたそうですが、診察の結果は
ストレス」でした。津波からは助かることが出来たのに、環境の
変化や寒さ、その他ストレスにより、その後ユー太は回復すること
なく亡くなってしまいました。

 ~「ユー太」の事から思うこと~
災害時、避難所には、小さな子どもがいる家族、お年寄り、障害者、
動物を連れてくる人など、様々な人が避難してきます。そんな時起
きてくる問題は弱者排除の問題です。ユー太の飼い主さんは避難所
にいられなくなり自宅に戻りましたが、とても不自由な生活をされ
たと聞きました。緊急事態が起きたとき、誰もが心にゆとりがなく
なります。そんな時だからこそ、相手の気持ちになって考えること
が大切だと思います。排除するのではなく、助け合うことが必要な
のだと私は思います。その為には、飼い主としてのモラルやマナー
の向上を目指すことも必要だと思います。

③岩手県大船渡市「ムガ(犬)」の場合。

 絵:垂石眞子(たるいし まこ)

ムガは体重が53キロある、体の大きなグレートデンでした。
震災当日ムガは、津波の中を泳ぎながら飼い主さんと山まで逃げ
登り、助かりました。しかし、その後の避難生活は困難な状況で
した。当時、食べるものがない日が続きました。おにぎり1個を
家族で分け合って食べましたが、体の大きなムガには、到底足り
ない量でした。ムガは避難所の室内には入れてもらうことができ
なかったため、入口付近にいたそうです。大変な避難生活の中、
ムガは鳴きもせず、じっと耐えていました。
ある日からムガは、食欲がなくなり、下痢をするようになりまし
た。環境の変化や寒さ、食糧不足により、体調を崩し、震災から
1ヶ月も経たない42日に亡くなってしまいました。53キロあっ
た体重は、25キロに減っていました。

~「ムガ」の事から思うこと~
私は被災地で、獣医師や個人で動物愛護活動をしている方から、
震災当時の話を聞く機会がありました。震災直後、支援物資がま
だ届かなかった時期、食料不足が続きました。その時に、一部の
獣医師や動物愛護活動をしている人たちが、ペットフードを届け
に避難所を回りました。しかしほとんどの避難所で、ペットフー
ドを受け取ってもらえなかったそうです。人間優先なので動物の
ことまで手が回らない、災害時の防災マニュアルに動物への対応
が記述されていないから、というのがその理由だそうです。
東日本大震災では、大津波から助かることができても、食料不足に
より餓死した動物がたくさんいました。
ムガもその一例だったように思います。

優先すべき対象の命とはいったいなんでしょうか?
私たち人間は、日常生活の中でも無意識に命の線引きを行ってい
ます。命に優劣などないと私は思います。

④福島県浪江町「モカ(猫)」の場合。

 絵:星野博美(ほしの ひろみ)

モカは、「福島原子力発電所事故」の警戒区域内に残されていた猫です。
7月下旬の暑い中、浪江町で動物愛護団体により保護されました。
(モカという名前は保護した団体がつけた仮の名前です。) 
ガリガリの状態で、首輪は体にたすきがけになり、首輪に沿って毛
は剥げ、皮膚は赤くかぶれていました。保護された時、モカは動物
愛護団体から与えられたご飯を、一生懸命に食べていました。
きっと極限状態だったのでしょう。
しかし、本当はもうご飯など食べられない体だったのでした。
保護した後すぐに具合が悪くなりました。病院に運び込まれた日か
ら嘔吐と下痢が続きました。獣医さんの懸命な治療の甲斐もなく、
10日後、モカは亡くなってしまいました。モカの飼い主さんは見
つかっていません。本当の名前もわかりません。赤い首輪には、
かわいい鈴がついていました。

~「モカ」の事から思うこと~
震災後、福島原子力発電所の事故により避難勧告が出されました。
その時一部の自治体は、すぐに戻る事ができるからと、動物は全て
置いていくように指示しました。モカはその時においていかれた猫
なのか、それとも飼い主さんが亡くなってしまった猫なのかわかり
ません。福島の警戒区域内には、今もまだたくさんの動物たちが残
されたままになっています。その動物たちを救い出そうと、多くの
動物愛護団体が保護活動を続けています。愛玩動物・家畜・野生動
物…人間により種類分けされた命が、人間の都合で生かされたり、
殺されたりしています。モカは本当の名前もどこから来たのかも
わかりません。ただこの世に存在していた一つの命として、
私たちに問いかけているように思います。

⑤岩手県釜石市「ちゃこ(うさぎ)」の場合。

 絵:うさ

うさぎのちゃこは、避難所に動物を連れていけないことが理由で、
家に置いていかれ、津波により家ごと流されてしまいました。

 ~「ちゃこ」の事から思うこと~
ちゃこは私が描く事になりました。飼い主さんから送っていただいた、
ちゃこの写真は3枚あり、すべて室内で撮られたものでした。
しかし私は何故か、コスモスに囲まれたちゃこを描きたくてこの絵を
描きました。その後、私はこの絵を見た飼い主さんから驚く事実を
聞かされました。津波で流された家の庭にはコスモスが咲いていた
そうです。そのコスモスを、ちゃこはよく見ていたというのです。
ちゃこは、飼い主さんの一番思い出に残っている姿に描いて欲しかっ
たのかもしれません。それを絵を描く私に、伝えてくれたように思い
ました。

このように、飼い主さんしか知らない事が絵の中に描かれている不思
議な事実は、私だけではありません。他の作家たちにも起きているこ
となのです。姿がなくなっても飼い主さんへの深い想いは永遠にある
のだと思います。何故このような事が起きるのか、科学的根拠も証明
もできないことなのですが、紛れもない事実なのです。

~最後に~

被災地から戻り、私が初めて描いた絵があります。
タイトルは「同じ星空を見た夜」です。
 
2011311日、地震の直後、雪が降りました。夜になって雪は
止み、雲が去った後の空には、見たことがないくらいたくさんの
星がひしめき輝いていたそうです。津波にのまれ、寒さに凍えた
地上から上空へ、多くの命が吸い込まれて逝きました。
あの夜、余震に怯え空を仰いだ瞳たちには、同じ星が映っていま
した。

この地球上には、様々な命が共に暮らしています。
命はどの命も等しく、大切な命です。世の中には動物の好きな人
ばかりではありません。動物が嫌いな人もいます。
しかし、好きや嫌いという価値観ではなく、私たちと同じ、
ひとつの命として自然に思えるようになったら、もっとやさしい
世の中になっていくのではないかと思います。

災害はいつ、どこで発生するかわかりません。
私が報告させていただいた問題は日本だけの問題ではないのです。
動物にも優しくできる社会でなければ真の平和は訪れないと私は
思います。

 

 

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