2014年6月22日日曜日

6月16日のこと 気仙沼~南三陸~名取市

午前中、気仙沼市内にチラシを配りに行きました。
前日、夕飯を食べた仮設の店舗に再度行って見ました。
朝早いこともあり、飲食店はまだ閉まっていました。

お土産物屋さんが開いていました。
気仙沼のお土産を買いながら、お店の人に命展のことをお話しました。
命展パート3のチラシを貼っていただきました。
チラシを持っている右の方が、お店の方です。ありがとうございます!

その後、気仙沼市役所に行きました。

河北新報社「リアスの風」。
気仙沼や南三陸の方で発行されている新聞です。
取材のお願いをしに行きました。
記者さんがすべて出てしまっているとのこと・・後日電話することに
なりました。

その後、気仙沼市内の仮設住宅に行きました。
ここは200世帯くらいの方が住んでいらっしゃる大きな仮設住宅でした。

セブンイレブンにもお願いし、チラシを置かせていただきました。

「三陸新報社」にも行きました。
気仙沼では、三陸新報社の新聞を見ている方が多いと聞き、
取材のお願いに向かいました。
突然の取材申し込みでしたが、 お話を聞いてくださいました。
とても心の温かい記者さんでした。
こういった出会いにも、本当に感謝です。

午後になり、気仙沼を出発し、南三陸町に向かいました。
南三陸町は、震災後、私が始めて一人で行ったところです。
途中、津波で崩れたままの線路と駅がありました。
この駅は「清水浜駅」でした。

南三陸町「ベイサイドアリーナ」です。
命展展パート1の会場だったところです。

ベイサイドアリーナに、先ほど通った「清水浜駅」の駅看板がありました。

そして、敷地内にきれいな図書館がありました。
私が始めて来た時には、仮設の図書館が建っていました。
当時、少しでも役に立てたら・・と思い、私の絵本を、
寄贈させていただきました。
その時、お話した方はいらっしゃるかな・・と思い中に入りました。

いらっしゃいました!右端の方が当時、私がお会いしたYさんです。
再会できて、そしてお元気で嬉しかったです。
チラシも置かせていただきました。

ベイサイドアリーナを出て、南三陸町、志津川に下りました。
志津川の現在です。

積み重なった、壊れた家や瓦、車などは全部なくなっていて、
もっと広く感じました。

町があったところは、草が生えていました。
そして、アカツメグサが一面に咲いていました。

港付近は、嵩上げ工事が進んでいました。

南三陸町を出て、次は名取市に向かいました。
名取市の命展パート2の飼い主さん、菊池さんに会いに行きました。
菊池さんは、震災後、家族だったテナちゃんのことを通して、人も動物も
同じ命であり、大切な家族だということを伝えるために、
震災語り部をされています。

菊池さんのお家へお邪魔しました。
右端が菊池さん、隣が奥さまです。
いつも思いますが、本当に素敵なご夫婦です。
上にあるのが、テナちゃんの絵です。

菊池さんに、被災した名取市、閖上地区に連れて行っていただきました。
名取市の犠牲者のほとんどが、閖上地区の方だったそうです。
避難所に向かうためには3つの橋を渡らなくては行けないのですが、
3つとも津波で流されてしまったため、犠牲者が多かったのです。

閖上地区の今。


菊地さんは、日和山の上で、当時のお話を私たちにしてくださいました。
菊池さん、本当にありがとうございました。

暗くなり、夕飯を食べに名取の仮設店舗に行きました。
「浜や」さんに入りました。
ここでも命展のお話をして、チラシを貼らせていただきました。
浜やさんのHPやツイッターでも流してくださったそうです。
浜やさん、どうもありがとうございました!
 
食事を終え、私たちは石巻に向かいました。

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