初めての広島訪問。
原爆ドーム、平和記念資料館には、必ず時間を作って行きたいと
思っていました。
会期中でしたが、24日の午前中だけ時間をいただき、行ってきました。
広島市内には、路面電車が頻繁に走っています。
レトロな車両を見つけました。
原爆ドームです。
原爆ドームは、1915年に広島県内の物産品の展示・販売をする
施設として建てられました。
正式な名前は、「広島県産業奨励館」です。
昭和20年8月6日午前8時15分、広島県産業奨励館から南東約160
メートル、高度約 600メートルのところで、落とされた原子爆弾が
炸裂しました。
爆風の圧力により、建物は爆風と熱線を浴びて大破、天井から
火を吹いて全焼しました。
爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は残ったそうです。
しかし、館内にいた人は全員、亡くなりました。
戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、
原爆ドームと呼ばれるようになったそうです。
当時の写真もありました。
原爆ドームの横で、人が集まっていました。
原爆ドームの模型が造ってありました。
後ろが広島県産業奨励館だったころ。
広島県産業奨励館の写真。
被爆した瓦がありました。
外国人観光客にぼろぼろになった被爆者健康手帳を見せながら、
英語で説明している方がいました。
三登浩成さん。
三登浩成さんは、お母さんの胎内で被爆されたそうです。
広島の真実を知ってほしいと、雨の日以外は、朝9時~夜まで
毎日ここで説明をされているそうです。
私も1時間も、お話を聞かせていただきました。
原爆ドームからこの川を渡ると、平和記念公園があります。
この川は、 熱線や放射線、爆風で傷ついた多くの人たちが
水を求めて亡くなった川・・・。
平和記念公園にある、原爆の子の像です。
被爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんをはじめ、
原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、
世界に平和を呼びかけるために、創られたそうです。
平和の灯。
この火は、1964年8月1日点火されてから、ずっと燃え続けているそうです。
「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という、
反核悲願の象徴だそうです。
台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形だそうです。
平和の灯は、平和記念資料館~原爆ドームまでを一直線で結ぶ
中心にあります。
平和記念資料館に入りました。
毎日、多くの人が訪れています。
落とされた、原子力爆弾。
赤いマルが、投下炸裂地点だそうです。
亡くなった学生さんたちの遺品がたくさんありました。
学生さんたちは、学徒勤労動員と呼ばれていました。
学徒勤労動員とは、戦争で使う武器や、軍隊の食料生産のために、
働いていた学生たちのことです。
見ていて、苦しくなりました。
広島に原爆が投下されてから、今年で70年です。
広島の人は、もう70年・・という人が多かったです。
初めて広島に来た私は、まだ70年なんだ・・と思いました。
この平和記念公園の下には、身元がわからず、そのまま埋められた
人たちが、たくさんいるそうです。
その人たちは、今は、公園の木や草花となって、生きています。
広島では、「平和」という文字を、ものすごくたくさん、見聞きしました。
平和フェスティバル、平和イベント、平和コンサート・・・。
でもその中で、平和の重みを感じている人は、どのくらいいるのでしょう。
「平和」・・私もしっかりと考えていきたいと思います。
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