2015年3月12日木曜日

2015年3月11日の出来事

震災から4年目の3月11日が、過ぎていきました。
私は今回初めて、被災地で3月11日を迎えました。
今日は、雪が降ったり、風が強かったり・・ととても寒い一日でした。

3月11日、14時46分、石巻の日和山で黙祷することにしました。
日和山から海のほうを見れば、津波や火事の被害が大きかった地域が
一面に広がっているのがわかります。
6mもの津波が襲ってきたそうです。


震災のとき、人間だけでなく、多くの猫たちも日和山に向かって駆け上がって
きたそうです。
その猫たちのお世話を、日和山神社の神主さんがされていることを、
昨年6月に知りました。
人間だけでなく、逃げてきた動物たちの命も守ってくれたこの神社の前で、
黙祷をさせていただくことに決めました。

日和山神社


少し早く着いたことと、急に風が強くなり、雪も降ってきてかなり寒くなったので、
神社下にある茶屋で、少し休ませていただくことにしました。
いつもならばあまりお店には入らないのですが、石巻でお金を使うことはいいことかな
と思ったのも一つの理由です。

茶屋を覗くと、お店の方が出てきて、「寒いからどうぞどうぞ」と言われました。
私は3種類のお団子セットを注文しました。
お店には、私以外に7名ほどお客さんがいました。
お団子を食べ終わり、お茶をいただき・・お店に入ってから30分ほど経過したとき、
さっきまで笑顔で呼び込みしていたお店の人に、
「お客さん、いつまでもいてもらっても他の方に迷惑なので、出て行ってください」
と突然、みんなの前で言われました。
私はお店に入ってからまだ30分くらいしかいませんでしたし、席も端に座っていました。
お店に入れない人が並んでいたわけでもないし、店内の席もまだ空いていました。
他の方に迷惑をかけるようなことは何もしていません。
納得がいかず、何故そのようなことを言われるのか聞きましたが、とにかく、
もう出て行けとしか言いません。
その様子を見ていた、後ろの席の女性たちが、
「ちょっとその言い方あんまりなんじゃないの?お店が混んでいるわけでもないし、
言っていることおかしいんじゃない?」とお店の人に言いました。
そして私に「あなた、遠くからきたのでしょう?石巻の人間がみんなこんな人だと思わない
でね。まったく違うから。気にすることないから座ってなさいよ。」そう言いました。
他のお客さんはその様子を見ていましたが、何も言わず関わりを持とうとしませんでした。
私は突然の理不尽な出来事に、何だかとても傷つき、悲しくなって席を立ちました。
後ろの女性たちも「こんな店、気分悪いから早く出よう」そう言って、
私と一緒に席を立ちました。
私は何故、このようなことを突然言われたのかわかりません。
お団子セットしか食べていなかったから?もっと何か注文してほしいから?
よそから来た人間が嫌いだから?
このとき、やっとの思いで避難所までたどり着いたのに、動物を連れている人は
出て行くように言われ、雪の降る中出て行った人の話と重なり、心が痛くなりました。
私はまだ、味方をしてくれた人がいたからよかったですが、誰もいなかったら、
どれほど辛いでしょう。
切り捨てられるような感覚、 何ともいえない、悲しい気持ちになりました。
避難所でもきっとそうだったでしょう。理不尽なことを言い出す人、味方をしてくれる人、
見て見ぬふりする人・・・
たまたま入った茶屋で、人間という生き物の縮図を感じました。

その後、しばらく雪が降る中、離れた場所にあるベンチに座っていました。
強風で海も荒れていました。
海の色が、深い青、緑、茶色・・と何層にも分かれていて怖かったです。

ふと気がつくと、とてもたくさんの人が山頂に集まってきていました。
時間は14時半になろうとしていました。
たくさんの報道陣、観光客、被災者の方たち・・
14時46分、サイレンが鳴り響く中、黙祷・・
しかし、黙祷したと同時にカメラのシャッターの音がすごくて、ちゃんと気持ちを
込める事ができませんでした。
そして黙祷が終わったと同時に、泣いている被災された方を捕まえてインタビュー。
私は後ろにいたカメラマンの人に言いました。
「シャッター音に邪魔されて、ちゃんと黙祷ができませんでした。
あなたには黙祷するよりも、カメラのシャッターを押すほうが大切ですか?」
黙祷している瞬間を押さえなくても、黙祷するために多くの人が集まっている写真や
映像ではいけないのでしょうか?
その後、命展のある飼い主さんからメールをいただきました。
追悼式に参加されたそうですが、やはり同じく、カメラのシャッター音がすごくて、
うまく黙祷できなかったそうです。
黙祷の時間はとても大切で、本当はもっと心の中で話したかったことがたくさん
あったのに・・と書いてありました。
そして最後あった一文。
- これが被災地の3.11なんです -

4年前のこの日の出来事で、たくさんの方の家が流され、大切な家族が亡くなりました。
その日のことを思い出したり、亡くなった家族に想いを伝えたり・・せめてこの日くらい
被災された方が、静かに過ごしていただけるように、私たちは考えなければならないの
ではないのでしょうか。

いろいろなことを考えながら、日和山から降りてきました。
ある建物に、津波の高さが書いてありました。

ここは3mくらいでしょうか。

津波で流された建物の跡、壁にはたくさんのお花が描いてありました。

 被災地で迎えた、3月11日・・いろんなことで、心が大きく痛んだ一日でした。
でも、痛んだ分、今までよりも自分に出来ることが増えた気がします。
そして、何があっても心を振り回されることのない、
もっと強い自分でありたいと思いました。

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